FC2ブログ
information

書籍『クレオパトラⅦの追憶』(デジタル版&アプリ版、発売中!)は、
2000年の時空を超える女と男の心理を丁寧に読み解き、
歴史の真実をあぶり出す、洗練された高貴で華麗な愛の物語。

クレオパトラⅦを追って、UPされたのが
『YOGA COSMIC SYSTEM 0・1の彼方へ 能力覚醒独習法』と
『般若心経&YOGA 四苦・八苦の彼岸へ』。
on tour 気分も味わいながら、舞台裏話へのご潜入を!

そしてon tourから、グ~ンとWARPして
YOGAと瞑想のブログ“Open! Mind & Body,”へ!!
2018.04.18

高2殺害「たまたま」

以前このblogで、コリン・ウィルソンの『殺人の哲学』を紹介した(→コチラ)。
同書の日本語版の出版は1970年(初版)である。
同書には、殺人スタイルが歴史的に考察されている。
その、米国のおける“現代”が、もうとうに、日本にやってきていたのだ!

「県警は計画性の有無について、慎重に調べている」と報道されている。
一方、「容疑者、計画性を否定」と。
これは量刑の問題で、重要なポイントとなる。
新聞記事を読みながら、警察や検察、弁護人、裁判員の皆さんは、
『殺人の哲学』をお読みだろうか? そして、もし未読なら、
皆さんで読み、group sessionをしてみたらどうだろう? と思った。

こうした事件は、量刑の問題ではなく、時代・社会の意識構造の変化と、
それに対する対応、“safety guard”の問題ではないか、と思う。
一般的には、まず、精神鑑定が俎上に上るのかも知れない。
しかし、精神鑑定というのは「原因において自由な行為」つまり、
医学・心理学などの見地から、精神に異常が見られると判断されれば、
「原因において自由な行為」として、措置入院などにはなるが、罪にはならない、
ということだったと記憶しているが……。

上記の『殺人の哲学』で述べられている「時代性」は興味深く、重い。
怨恨とか金銭・男女間などのトラブル……、といった「理由」「心的因果関係」がなく、
まさに“たまたま”で、計画性がないのである。

11639927364_9315598284_z.jpg
Photo by ocdeluxe

これが、『殺人の哲学』で述べられている米国20世紀後半からの
殺人の“ある”スタイルだ。
もちろん、緻密に原因となりそうなコトを調べ、それらを積み上げていくことで、
じわじわと負のvoltageが上がっていくprocess、閾値を超えるタイミングなどは、
合理的に並べられる。しかし、
ただ閾値を超えたというだけでは、行動にまでは至らないらしい。
それは、最初の時点の場合だけ、のようだ。
2回目からは、閾値に達するどころか、かなり自動的に遂行されてしまう。
「計画性」などは全くない。凶器類は、ほとんど無自覚に常備されている。
そして驚くべきことは、ごく平均的な人々一般が、ルーティン勤務に就くような
自然さで、パターン化された殺人実行手順が遂行されるのだ。

これは、20世紀後半の英米などで、話題になった殺人スタイルだ。
目的は「殺人そのもの」で、機械的・systematicに実行される。
興味深いのは、殺人者はその手際のよさに陶酔していくことだ。
なるほど、手際にこだわるなら、「計画性」など論外に違いない。
殺人者の年齢ゾーンは、欧米のsensationalなケースでは
20代後半~35歳前後がピーク。欧米同様の「意識構造の時代」が、
日本の文明・文化の中にもやって来たのかも知れない。


ブログランキングに参加しています。
クリックお願いします。

スポンサーサイト

この記事へのトラックバックURL
http://itnopen2.blog12.fc2.com/tb.php/413-acdca850
この記事へのトラックバック
この記事へのコメント
管理者にだけ表示を許可する