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そしてon tourから、グ~ンとWARPして
YOGAと瞑想のブログ“Open! Mind & Body,”へ!!
2018.01.11

『殺人の哲学』の、心理学的考察

「菊池元オウム信徒 無罪確定へ」。
昨年末の新聞の見出しである。ちょっと古いが、
コリン・ウィルソンの『殺人の哲学』(高儀進訳/竹内書店/1972年)
を読んでいたところだ。

同書を読み始めた理由は、引っ越しで蔵書の中から見つけたこと、そして、
9人殺害の「座間事件」の、殺害者の心理特性を追求してみたかったからだ。
菊池さんの場合は、殺人には関与していなし、組織行動における
意識・認識ということも、なかったのだろう。だから、ここでは不問にしよう。

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『殺人の哲学』は、14世紀くらいからの初期の殺人、17世紀のジンの時代と進み、
20世紀の殺人へと、時代とともに変遷していく殺人状況を、各国の歴史資料、
各国・各署の警察資料や裁判記録、新聞記事などの資料をもとに考察している。
そこに描き出されるのは、「時代の様相と殺人者のスタイル」だ。
興味深いのは、「移り変わる時代特性」と「ほとんど変わらない殺人者特性」が、
浮かび上がってくることである。

たとえば「座間事件」の場合。典型的ともいえる「連続型」で、
あまりにもフツーに見える、一般的な男のシゴトなのである。
そして、そういうヒトのヤリ口は残虐なのだ。これは、つまり殺人者にとって、
手間暇のかからない方法をとる??
そういうヒトの殺人は、「金銭を奪うなどの目的」の、“手段ではなく”、
“殺人が目的そのもの” なのだ。オウム事件も、
フォーカスしていけば、そうなるだろう。

同書を読んでいると、殺人者は、“やむにやまれず、のっぴきならない状況で、
変性意識状態に追い込まれて”実行してしまう場合は、
意外に少ないのではないか? と、思われてくる。つまり、
ヒトがDNAレベルで記憶している、長い屠殺の歴史にのった行為ではないか? と。
ヒトが、理性という、脳の新しい皮質で巧妙にコントロールされるようになる、
はるか昔からもっていた意識と認識。それは、往々にして、善悪の分別がない。
ただ、ただ、感情の暴走する行為である。

そしてそれを“気持ち悪い”と、感じる、思うようになったのは、さらに時代を下る。
農耕民族と狩猟民族といった、文化背景も大いにかかわってくるだろう。
そして意外に、そうした残虐な行為を平然と実行するのが、女性であったことにも驚く。
アマゾンのヤノマミに残っていたように、日本の伝統社会では、
生活キャパを超えての新生児始末は、その女性自身が行っていたことも少なくない。
これは、命を奪うことの「罪悪感」や「すまない」「惜しい」という気持ちばかりでなく、
もっと物質的な感覚でもあったのではないか、と思う。
それは、「生存における命のバランス」というような感覚ではないだろうか?

歴史時代に入ると、地球上に数限りない戦闘が繰り広げられ、
やがてヒトの生死は、商品化されるようにもなった。
日本の江戸時代に、「辻斬り」や「新刀の試し斬り」ということも行われていた。
とすると、長い人類の歴史の上で、現代人のような殺人感覚が生まれたのは、
まだ二百年足らず、といったところかも知れない。
現代の殺人者は、精神鑑定を受ける。それは、どのような内容なのだろうか。
裁判員裁判が行われる時代になって、身近な問題になってしまっている。


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