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書籍『クレオパトラⅦの追憶』(デジタル版&アプリ版、発売中!)は、
2000年の時空を超える女と男の心理を丁寧に読み解き、
歴史の真実をあぶり出す、洗練された高貴で華麗な愛の物語。

クレオパトラⅦを追って、UPされたのが
『YOGA COSMIC SYSTEM 0・1の彼方へ 能力覚醒独習法』と
『般若心経&YOGA 四苦・八苦の彼岸へ』。
on tour 気分も味わいながら、舞台裏話へのご潜入を!

そしてon tourから、グ~ンとWARPして
YOGAと瞑想のブログ“Open! Mind & Body,”へ!!
2018.07.26

英雄伝とはいいもんだ!

気分がダウン系で、いま三(イチでなく)パキパキしない。
こんな時には瞑想を? という状況にはなれない。理由は、
脳クンがオサボリ・モードなのだから、ロクな収穫はないのだ!?
「瞑想は、心を落ち着けるようなコト」ではなく、脳クンから、
何かいいネタを、ぼったくってくるために、行うのである!

と言うことで、ダウン系脱出の妙薬は『プリューターク英雄伝』(澤田謙/
講談社文芸文庫)である。読み始めれば、わくわくイクゾー!!!と、
勇気・ヤル気がりんりんと湧き出してくる。

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大王アレキサンダー、英傑シーザー、哲人プラトン? 智謀テミストクレス、
怪傑アルキビアデス、大豪ハンニバルなどなど、胸躍る男たちの大活劇。
しかし、「それは英雄伝だから、そうでしょう」ということになるが、
なんて、ヤツラは戦争が好きなんだ!
日本の戦国時代の、武田信玄だの上杉謙信だの……あんなのは、好みじゃない。
じめじめしていて、ダサイのである。

イクサ話なら、やっぱギリシャ、スパルタ、カルタゴ、ペルシャ、ちょっとローマかな?
戦争の洗練度、オトコの魅力が違うのだ!
だから、国々の女たちが戦争好きになるのも、無理はない?
とか言ってると、叱られちゃうのでヤメルが。ちょっと、名言を。
「ああミヌキウスの自滅は、彼が望んだよりは遅かったろうが、
予が心配していたよりはあまりにも早過ぎたぞ。」そして軍隊に向かって叱咤した。
「進め者共。進んでミヌキウスを救え!――」そして、ミヌキウス曰く
「われらはハンニバルに敗れて恥辱を得ましたが、卿に敗れて幸福を得ました。」と。
とにかく、イイオトコが目白押し! 楽しいなぁ、お休み。


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2018.07.17

バカでも、カミサマは見捨てない?!

朝比奈は、途方もなくバカである。そう、毎日のように言っているので、
相棒のSもFも、何も言わずに笑っている。
つまり、分かりきったことを、毎日のように言うのは、
バカ以外ではありえないからだろう。
週に3回、朝15分ほどやっているリズム・タップの練習も、
先生がSだから、朝比奈はFに内緒で1回余計にしてもらっているのだ。
それでFと互角になるかと言えば、新メニューが入ると、また大差が出るという具合。

一般に運動神経が鈍いと言われるのだが、朝比奈が徹底的に追究してみると、
どうやら左右の側頭葉の働きが悪いらしい。つまり、そもそも頭のないゾンビたちが、
極めてバカなのだ!? コイツラが、バカのくせに(バカだからか)マトモに
仕事をやらない。しょっちゅう余所見をしたり、現場(側頭葉の中)の中に、
ゆらゆら流れてくる情報を捕まえては、ワイワイ「ああだ、こうだ」と騒いで、
本業をオロソカに放り出すのだ。それで、Fはきちんと音楽に乗って、
きちんと指示どおりのステップを踏んでいるのに、朝比奈は、
しょっちゅうつっかえたり、躓いたり、足がもつれたり……。
先生が相棒のSだからメンドーをみてくれるのだが、lesson料を払うスタジオなら、
「無理ですね」と、ヤメ宣告を受けるにちがいない。

なんで、こんな話をするのか?
算数のデキナイ朝比奈が、ついに、スゴイ本を見つけたのだ!
“待てば海路の日和あり”? 『数学とは何か』(R.クーラント&H. ロビンズ著、
森口繁一 監訳/岩波書店)、1980年・第13刷の古書である。

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「算数」と「数学」、この全く、根本的に異なる頭脳操作(概念操作)の方法を、
すっきり、まことに巧みに解き・見せてくれる。
数々のお道具(記号や数式)の組み立てを、すっきりと見せてくれる。
そうだったのか! そうだよね、と、喜ばせてくれる!

きっと、原著者のRichard CourantとHerbert E. Robbinsは、
数(すう)という抽象概念の世界の住人で、
概念が描き出すRealと、直に暮らしている? そんな気がする。
算術という半分抽象の世界から、どうにも抜け出せなかった朝比奈のアタマだが、
いよいよ、“用意されたアタマにやっとこさ神が降りた”? のかも。
うれしいなぁ、死ぬまでに数学がわかるように、数式が解けるように、頑張ろう!
きっとリズム・タップも、カミサマが「あな、あはれ!」と、
お助けくださる? 超甘いかなぁ?


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2018.06.19

救われない深さ?

6月16日の土曜、午前中のYOGA授業を終え、相棒Sと神保町へ急いだ。
岩波ホールで『ゲッベルスと私』を観るためである。
岩波ホール創立50周年記念作品ということだから、1カ月前から楽しみにしていた。
撮影当時103歳という女性の、体験の語りに資料映像が加わるという、
モノクロームのオーストリア映画、2016年の作品である。

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凄い! そのオゾマシサである。
かつて、ナチスのNo.2であったアイヒマンの裁判に立ち会った、
ハンナ・アーレントの映画を観た。
同時代に同じベルリンに生きた女性2人、こんなにも違うものか! と、
ゾッとした。それは、無意識のうちに、自分自身に重ねたからである。

ナチスの宣伝相、ゲッベルスの秘書であったブルンヒルデ・ポムゼルは、
「宣伝省の階段を貴族のような面立ちで登ってくるゲッベルス……
非の打ちどころもケチのつけようもない人……」と語る。そして、
「スポーツ宮殿で語るゲッベルスは、大声でがなり立てる人に豹変した。
“演技力であの人に勝てる役者はいないわ”」と。
彼女は、追憶の中に、今もワクワクする過去を自慢げに、
深いシワに畳み込まれた象皮のような顔を、上気させ表情豊かに語る。
103歳、義歯はなく、語り口は正確で、カクシャクとしている。
時々見せる恥じらいの表情が、あまりにも語り内容とのGapを感じさせる。

「私に罪があったとは思わない。ただし、ドイツ国民全員に罪があるとするなら
話は別よ。」と語る彼女は、戦後、ロシアに抑留され、
親友ともいえるユダヤ系女性が送られたアウシュビッツと同様の収容所のガス室で、
シャワーを浴びることになる。その回想に出てくる親友への悔恨はない。
彼女の心性を貫いているのは、“私は悪くない”“あんな社会状況なら、
誰だって、そうするしかないわ”である。そして、
ナチ党員になって、宣伝省で働いた日々を楽しげ、自慢げに語る。
最後に「私はバカだったのよ、何も知らなかったのよ」と。

「私は何も知らなかった」「上官の命令に従っただけだ」、だから罪はない!
これは、アイヒマンが法廷で強く言い放った言葉、そのものである。
この心性は、日本人にあるだろうか?
『日独伊三国同盟』で、戦争をした日本である!


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2018.06.14

ゾッ! とする無知と根本的な無明

このところ、毎晩のon bed 読書で、『レナードの朝』(オリヴァー・サックス著、
春日井晶子訳/ハヤカワ文庫)を読んでいる。と言っても、
『詐欺師フェーリクス・クルルの告白(下)』、『完全なる証明』、
『フェルマーの最終定理』の4冊を並走サーフィンしているのである。
それはともかく、昨夜、『レナードの朝』で、ブッタマゲタ!

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同書は、アルツハイマー型認知症を追究している朝比奈の、オベンキョー読書。
突如、目がらんらんと飛び出したのは、
「一晩で激烈な症状を来すパーキンソン症候群」の記述である。
そして記述は、「この疾病を患った若者たちが例外なく、
ヘロインに似た効果をもつ『デザイナー・ドラッグ』と呼ばれる
合成オピエートを使っていたことである」
と。

朝比奈は長年にわたって、こうした麻薬をチェックしている。
カルト系の宗教や、ある種のヨガ集団などで、昔から利用されてきた手法だからだ。
そして同書の記述は、「彼らの症状がふつうのパーキンソン病ではほとんど
見られないほどに激しく―――脳の黒質には不可逆的な変化が生じていた
と。
当然のことながら上記ドラッグは禁止されたが、次々と手を変え品を変え、
こうしたドラッグが、「チョコ」などという名前で、都会の暗い街角で、
無知な若者たちに“甘い誘いの声”をかけているのだ!

学校などの教育機関は、社会の暗部情報を教えない。
若者たちは好奇心が強いから、アングラ情報に興味を示しやすい。
しかし、社会的な教育も必要だが、もっと薬剤というものの実態を知り、
それを追究して学んでいく姿勢の教育も、必要ではないだろうか?
それは多くの成人についても同様で、医師に処方された薬剤なら、
何の疑問ももたずに、服用してしまう人がほとんどだ。
net上で、かなり専門的な知識も公開されている時代である。
薬剤に対して、敏感になろう!


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2018.06.11

老年について

先日、on bedで、『老年について』(キケロー著、中務哲郎訳/岩波文庫)を読んだ。
「注」を除けば、文字も大きく、78ページ、しかも「語り」だから、
ひと晩、寝入り端に読了できる。が、深い!

原題は『大カトー』、『老年について』は添えられた「副題」だったらしい。
ともあれ、BC234年にローマ南東24㎞のトゥスクルム、ザビーニー地方で、
農業に従事する父祖のもとに生まれ、80歳で次男を儲けたという
マルクス・ポルキウス・カトーが、語る。

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没年はBC149年(85歳)。
執政官・監察官・財務官・按察官・法務官などを
歴任したその人生は、質実剛健・深く高い哲学性を備え、
知略・実効性兼備の男の、大スケール絵巻である。
そしてこれが、『オデュッセイア』のような“物語”ではなく、
“本人の語り”(聞き手は、語り手の長男の義兄弟と、その親友)であることが凄い!

大カトーの、数々の軍功などは横に置き、当代きっての弁論家であり、
「ラテン語散文の父」と呼ばれたintelligenceをチラ見しよう。
イタリア諸都市の起源や習慣を記した『起源』、『農業論』などなど、
2000年以上にわたって、今日まで残存する著作の驚くべき
質実の高さには瞠目し、呆然とするばかりだ。

ふと、「これが、政治家か!」の念が脳裏をよぎる。
“セクハラだの加計問題だの、記憶にない”などの新聞記事が、
どうしてもfarce(挽肉の詰め物=笑劇)としか思えない。
政治家というヒトの意識・脳力は、途方もなく退化しているのだろうか?
しかし、“farce” を選んだのは、古代ローマ市民ではなく、現代日本の国民なのだ!


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