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書籍『クレオパトラⅦの追憶』(デジタル版&アプリ版、発売中!)は、
2000年の時空を超える女と男の心理を丁寧に読み解き、
歴史の真実をあぶり出す、洗練された高貴で華麗な愛の物語。

クレオパトラⅦを追って、UPされたのが
『YOGA COSMIC SYSTEM 0・1の彼方へ 能力覚醒独習法』と
『般若心経&YOGA 四苦・八苦の彼岸へ』。
on tour 気分も味わいながら、舞台裏話へのご潜入を!

そしてon tourから、グ~ンとWARPして
YOGAと瞑想のブログ“Open! Mind & Body,”へ!!
2018.04.10

抱腹絶倒の理論物理学者?

このところ毎晩、on bed で両脚をバタつかせ、七転八倒笑い転げている!
『ご冗談でしょう、ファインマンさん』(岩波現代文庫)がamazonから飛んで来て、
目下、ぞっこん、カブリツキで、目が飛び出しているのだ。
この文庫は上・下2冊で、(下)の方が先に飛んで来た。
なにせ朝比奈は、数十頭の羊なみの紙食いだから、価格優先・中古書狙い。
だから、上・下別々の書店から飛んで来るのは当たり前。
そして、到着順に読み始める。どうせ2冊そろっても、並行読書なのだし……。

その昔「天は2物を与えず」という格言? を信仰していて、と言うより、
1物(美&知性のどちらも)も持ってない朝比奈は、やむなく、
丸見えの「美」は放棄し、ベンキョーすれば多少ともゴマカセル?「知性」を信仰。
しかし「知性」も、アタマの中身が悪けりゃゴマカシようがないことに、
気付いたけれど、はかない望みをかけて、いまだ奮闘中である。

Richard_Feynman_Nobel.jpg

??何の話だっけ? そう、そう、ファインマン! ぶったまげた!!
この男、ノーベル物理学賞受賞学者だけど、はちゃめちゃ文章がウマイのである。
しかも、ナンセンス。筒井康隆先生もたじたじ? というほどのナンセンス度!
なにしろ「オハナシ」が実体験だから、ナンセンスが真にリアルなのだ。
ベガスに滞在し(マレー・ゲルマンたちは通い)、ショウに出る女のコたちを狙っていた。
彼“をcatch”した美人は、なんと! 大物「ジョン・ビッグ」の女房。
若きファインマン先生は、女房を追ってきたジョン・ビッグと彼女を仲直りさせ、
「助手か子分の役をしてみようと」――「ねぇジョンのだんな」
「その辺ぱちぱちやって歩きませんかね。フラッシュ持ちますよ。」てな具合。

親分・子分の“オモロ楽しい”話が目白押し。
ぜひぜひ、お読みください! 涙と鼻水を拭くティッシュをご用意!
湯川秀樹先生や南部陽一郎先生とは、
“ぶったまげる”ほど大スケールのナンセンス違い?
もっとも湯川&南部両先生の場合、そもそも“ナンセンス”はnonsenseなのだ。
南部先生、周囲のmodeに刺激されたのか、『クォーク 第2版』BLUE BACKS で、
たった1カ所、苦心惨憺のjoke? らしきモノを飛ばされているが……トホホホ。
日本勢はマジメでいきましょう! 合点承知!
で、ファインマンの“ぶったまげnonsense”の続きも、お楽しみに。


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2018.04.03

ああ、もう出がらし! ならナンセンス!

アタマを使うショーバイにおいて、脳味噌を絞っても絞っても、
な~んにも出て来ない! という時は悲惨である。
そんな時には、傍らのbedに寝っころがって、
ナンセンス探訪をやらかすのが、効く。
さっそく、こうやってblogの1本くらいは書けちゃうのだから、
ご利益甚大、●○神様のお札なんぞは足元にも及ばない。

さて、今般の悲惨を救ってくれたのは、
『ナンセンス感覚』(柳瀬尚紀/講談社現代新書)。
とまあ、ここから「ナンセンスの始まり始まり~」である。
? なんてったって、昭和61年4月20日発行という「現代」なのだから。
? コレハひょっとして4月1日発行の誤植? アヤマリ?
それはともかく、なかなかヤルのだcontentsは。初っ端から、
「デカルトの家庭生活は不幸だった。」と、
「ウルトラ潔癖症のマダム・デカルト」の話。…………
「片付け魔とでもいうべきこの女、デカルトがせっせと夜の営みに
いそしんでいる最中にも、こう言うのが口癖だった――『さあ、あなた、
そろそろその小道具は片付けてちょうだい』」
と。
ナルホドなぁ、やっぱ“時代”ですねぇ。だって、
今どき、こんなもんフツーじゃない?
「ワタシ疲れてるんだから、明日も会社だし……」? 今どき、逆かなぁ?

Frans_Hals_-_Portret_van_René_Descartes
René Descartes

何の話をするんだっけ?
そうそう、井筒俊彦氏の「意味の深み」の話だった!
コレハコレハ、YOGA瞑想の奥義とも言える「アーラヤ識」つまり、
意識の深層の話である! ここでアラヤ識(彼らは(「ー」を入れてない)、
つまり「貯蔵庫意識」の暗い深部に流動する「意味」エネルギー云々かんぬん、と。
時代を感じますねぇ、感無量! 朝比奈も、井筒氏の『意味の深みへ』を所蔵。
もちろん1度ならず読んだ。神秘&ロマンの横溢する、難しくも美しい著書である。
そして現在、赤裸々に、かつシャープで美しくも合理的なbrain scienceの、
翻訳書籍を通して脳へ踏み込む魅力に、わくわくを禁じえないのである!


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2018.03.01

“核”が、驚異を携えてやってくる!?

nuclear.jpg

「核」「核戦争」と言えば、キノコ雲と、広島、長崎市内の
地獄の惨状が目に浮かぶようになっている。
しかし、『核戦争の瀬戸際で』(ウィリアム・J・ペリー著、松谷基和訳/
東京堂出版)の序章「もしワシントンで核テロリズムが起こったら」を読んで、
慄然と、背筋が凍った!

これまで私は、ナント様式化された「核戦争」を想像‐認識していたのだろう! と。
それは、エノラ・ゲイ(Enola Gay)と呼ばれたB-29爆撃機に搭載された
“little boy”と呼ばれた原子爆弾の名を知った時に、
長崎や広島の惨状と、その“little boy”という軽くかわいい名称が、
どうにもつながらなかった、そこまで遡る。

633px-B-29_in_flight.jpg

上記の序章で、「核爆弾」とは、粗製な核爆弾なら、商業用遠心分離施設で濃縮された
ウランを使って、いとも簡単に作れて、木箱に入れて運べる
、といっているのだ!
サイエンス分野の取材をしていると、日常使い回されている機器を
ちょっといじくって、ハイテクに利用している場にしばしば出会う。
しかし、核爆弾が木箱に詰められて、普通のトラックで運べるとは!
それは確かに、“little boy”と呼ばれるにふさわしい。

だいぶ前のことだが関越自動車道で、核燃料らしきモノを積載した
トラック車列に出会ったことがある。護衛車両に囲まれて、粛々と走る。
それが「核燃料らしきモノ」と推測できたのは、
沿道に集合した人々のプラカードの「原発反対!」の文字である。
そのトラック車列の重量と緊張度には、ノホホンとしていた周囲の車を
圧倒する、トンデモナイ圧力があった。その緊迫した圧力は、
プラカードが目に止まる前に、“核燃料”を予測させていた。
この経験をもつ朝比奈は、木箱に入れて運べる“little baby”に息が詰まったのだ。

ギリシャ、ローマ、それ以前の中近東・インド・中国から
脈々と続く戦争の歴史を見ると、「戦争」というものが、どこか
日本民族の本質的感性と違う、ということに気づかざるを得ない。
それは、Gameという言葉の認識とも共通する感性ではないか?
そしてその感性は、数学的発想に遡れるように思う。
「八紘一宇」(はっこういちう)とか「一億玉砕」という発想と、根本的に異なる。
この違いは、なんだろう?
日本の「和算」は、「数学」と本質的に、発想が異なる。
和算は優れた「算術」であるが、原子や素粒子modelを導き出す数式はかけない。
この、本質的な違いは何だろう? 頭脳の、どんな働き方? System?
その、本質的な違いが、「恒久平和」への途にも関わってくるのではないか?


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2018.02.14

永遠回帰の神話

また、手に取ってしまった。
『永遠回帰の神話-祖型と反復-』(エリアーデ著、堀一郎訳/未来社)である。
どうも、朝比奈の中で、何か“神話”に関するサインがうごめいているらしい。
今回はたぶん、「-祖型と反復-」に反応したのではないだろうか。

我々の生活の中で濃密に、意識するか否かはともかく、
「-祖型と反復-」が行われている。
誕生日から始まり、正月やクリスマス、結婚式や葬式などなど、
宇宙創造・再生などを彷彿させる儀式が、世界中各地で繰り返し続けられている。
近年は、ウェディング・ビジネスや葬式のセレモニー・ホール、
成人式や七五三などの、レンタル衣装ビジネスなども好況である。

エリアーデの『永遠回帰の神話-祖型と反復-』によれば、
「未開人の間では、儀礼だけがこうした神話的モデルを有するのではなく、
あらゆる人間の行為が神、英雄、もしくは祖先によって
太初の時にあたってなされた行為を、
どの範囲まで正確に『くり返す』かによって、
その効力が獲られるとされる事実を、このついでに注意しておく必要がある。」
と。

この内容の深さは、我々の“意識の、どの深み”にまで、
“その行為”の記憶が達し、温存されているのか、にかかっているようだ。
そこで、ふと、律儀に『くり返し』を行う人と、
ちゃらんぽらんに合理化してしまう人の差は、どこにあるのだろうか? と。
DNAへの刷り込みの強さ? 合理化する能力の発達?
考えられるのは、律儀に『くり返し』を行う人々ほど、“その行為の記憶”は
強力に刷り込まれ、その循環が繰り返されることになる。
だから宗教行事などは、厳密に実行されればされるほど、その拘束力を増す。
そして、そのうち、“刷り込まれた”行為に拘束され、自由意思・意識は束縛され、
『くり返し』の世界の、“刻々と意思決定をしないですむ”
安楽な心地良さに埋没していくのである。

人々は、作業リズムやダンス・リズムのような、繰り返しのリズムに、
心地よさを覚える。それは、心臓の鼓動に由来し、
日の出から日没のリズムに関わっているのかも知れない。
そう、リズミカルな繰り返し、思考停止・意思決定の停止……、
なんと、平和でのどかな暮らしだろう!
永遠に続く? 永遠回帰への、日々沈潜していた欲望を、
ほんの束の間、垣間見、味わわせてくれる……?

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Photo by anoldent


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2017.12.05

芸術と民衆を和解させる?

師走に突入し、慌ただしい日々。
唯一のくつろぎであり、楽しみは、眠りに落ちる前のon bed 読書である。
引っ越し本の収納をしていると、まあ、いろいろとオモロイ本が出てくるもんだ!
自分で購入することなく、だから意外な名品に出会えるのが、
朝比奈の役得である。先日見つけて取り置いたのは、
『マルセル・デュシャン論』(オクタビオ・パス著、
宮川淳・柳瀬尚紀訳/書肆 風の薔薇)である。
デュシャンと表紙デザインのユニークさに魅かれて取り置いたのだ。

paz.jpg

「デュシャン、そしてジョイスやカフカといった二十世紀の他の詩人たちとともに、
アイロニーは自分自身に向けられる。環は閉じられる。
ひとつの世界の終末であり、別の世界のはじまりだ。」
と、
なんともシチメンドーな、小難しい言葉がならんでいるが、
『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』とか、
『急速な裸体たちに横切られる王と女王』1912、などなど、
ワケわかんないけれど、うーん、そんな気がする、という作品写真が並ぶ。
サイコーにうれしかったのは『L.H.O.O.Q.,』1919、爆笑して足をバタバタ。

朝比奈は前々(子供のころ)から、
あの、レオナルド・ダ・ヴィンチ作の『モナ-リザ』の、
微笑(の解釈)が気に食わなかった。それは、ダ・ヴィンチという
男を、知れば知るほど、深く笑えるのだ。
イタリア・ルネサンスという時代背景とともに、なんでまぁ、日本のガッコウは、
嘘っぽいこと(ヤボな真面目文化)を平気で教えるのだろう? と。
デュシャン万歳! ヒゲをはやした『モナ-リザ』、なんともリアル。
イタリア・ルネサンスの風が吹いてくる!
それはともかく、大衆のホンネの感性をワシヅカミにする、
「言語の裏側を示す、宇宙のもう一方の側、空虚な顔を。
それは意味作用を求める作品なのだ。」
と、パスは言う。ソウダ、ソウダ!


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