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書籍『クレオパトラⅦの追憶』(デジタル版&アプリ版、発売中!)は、
2000年の時空を超える女と男の心理を丁寧に読み解き、
歴史の真実をあぶり出す、洗練された高貴で華麗な愛の物語。

クレオパトラⅦを追って、UPされたのが
『YOGA COSMIC SYSTEM 0・1の彼方へ 能力覚醒独習法』と
『般若心経&YOGA 四苦・八苦の彼岸へ』。
on tour 気分も味わいながら、舞台裏話へのご潜入を!

そしてon tourから、グ~ンとWARPして
YOGAと瞑想のブログ“Open! Mind & Body,”へ!!
2018.07.10

【オウム事件 言葉にする努力を放棄】(寄稿/作家 高村 薫)氏へ

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(朝日新聞、2018年7月10日掲載)

高村氏は、「オウム真理教が私たちに教えているのは、
非社会的・非理性的存在としての人間と宗教を、
社会に正しく配置することの不断の努力の必要である。」
と、稿を結んでいる。

寄稿内容は、まことに正論で、論駁の余地はない!?
しかし「オウム真理教事件」を語るには、
実態面において、ある種の“根本的ズレ”のあることは、否めない。
ヨガはわりに効率よくこの特殊な意識体験を得られることから――
麻原を教祖と仰いだ若者たちも――自分の身体に起きる直接体験ほど
強力な体験はないため――信心は道理を易々と超えてゆく」

続く高村氏の寄稿文は、拡大してご参照を!

まず、朝比奈が「オウム真理教事件」に対して、とりわけ姿勢を正すのは、
朝比奈がYOGA屋であり、オウム真理教ヨガを筆頭に、
あまりにもオロカなヨガが世間に出回っていることに常々、腹を立てているからであり、
野間文芸賞や大佛次郎賞受賞の、取材を十二分にされた作家先生が、
「非社会的・非理性的存在としての人間と宗教を……」という、
表現をされていることに、少なからざる“違和感”をおぼえたからです。

付言すれば、当初、朝比奈のYOGA教室の名称は「オーム総合ヨガ学園」で、これは、
「オウム真理教」スタートの数年前から開始。
そして、上記事件で風評被害を受け、特別コースを除いて閉鎖しました。

結論を急げば、上記記事で高村氏は、「宗教の犯罪」と括っているが、
これは一面にしか過ぎない。最大かつ最も危険であり、おぞましいのは、
彼らが行ったマインド・コントロールの手法である!
密教の護摩焚きや、キリスト教のオラトリオなど、伝統的手法ではなく、
ヘッド・ギアなる特殊電磁波発振装置を組み込んだヘルメットをかぶらせ、
脳神経に直攻撃を与えて、洗脳を行ったことだ。
これは、戦闘地域で、スパイたちから自白を得るために使用される
オゾマシイ手法にほかならず、国際的には一応、禁止されている。

これらは、サリンなどと同様に、教団の頭脳派と呼ばれた連中が開発したものだ。
社会・人生の深みを知る努力をせず、
現状に不満を募らせるヒトビトが、手っ取り早い“自己顕示法”を入手するための、
恰好な武器であり、彼らはソレを他人(信者)の、洗脳に利用したのだ。
「信心と帰依は信仰の本態である」「社会制度や通念とは相容れない」
高村氏は述べるが、古今・汎世界的に、
「信仰」とは“自己を何ものかに仮託し、自己を超越する所作”ではないか?
オウム真理教の上層部信者は、ヴァーチャルな世界に“超越”することで、
(そもそも宗教はすべて、ヴァーチャルなcognitive businessなのだが)、
自己顕示欲を満たしたわけではないか?

「人間と宗教を、社会に正しく配置することの不断の努力」より、
長い「人類史」「思想史」を、客観的に詳らかに教えることのできる、
人材の育成に期待したいところです。
また、高村先生のご意見をお聞かせいただければ、幸いです。

朝比奈桐子 拝


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2018.06.20

デスカフェ

6月20日(水曜・朝日新聞朝刊)に、「『デスカフェ』催し各地で」とあった。
ふと、「日本も、欧米並みになったなぁ」と思う。
リードの締めで「“死を語り合う文化”は、日本にも根付くだろうか」と。
さすがプロだな、と思ったのは「自分の死生観がないと、目の前で
死にゆく方を受け止められません」と語る、30代女性、緩和ケア認定看護師である。

これは、文化の問題である。洋の東西南北を問わず、ヒトの「死生」に、
宗教が絡まってくると、ややこしくなる。記事内で驚いたのは、弔辞のくだり。
「死んでも、私を分かってくれる人がいると想像するとうれしくて……」である。
絶句!! 当人は45歳と充分に若いからだろうが、
老婆にしてみれば、死んだ後まで、「私を分かってもらいたい? 何のために?」
そんなに、自己の存在を主張したいのだろうか?

まず、暴言を大目に見て下さい。が、深く考えて、下さい!
YOGA屋、瞑想pro. の朝比奈は、夫から、肺がんによる死の3日前の朝、
相談を受けた。「今朝、不思議な体験をした。全身から徐々に、
血液も、肉も、骨も流れ出して、透明に近い身体の存在」
「ああ、一種の臨死体験かも」
「そう、そうかも知れない。でも、肉も、骨も流れ出して、なぜ、痛いんだろう?」と。
「痛みというのは、神経細胞の伝達情報だから……、情報をdefaultして
しまわなければ、それは残る。昔話の“怨念”もその類い?
生きているうちは、痛み=神経細胞の情報の意味を、意識で読み取ることも必要だから」

3日後の早朝5時、「病院へ連れてって欲しい」と。5時30分に入院。
末期は、さまざまな処置があるから、ドタンバで入院することに取り決めていた。
午後7時、死を迎える個室に入って落ち着くと、
「下が汚れてないか、見てください」
「キレイ、心配はいらない。モルヒネ要る?」
モルヒネが使用されたのは、午後10時、臨終は同11時であった。
臨終に立ち会った若い担当医の言葉を、鮮明に記憶している。
「矜侍(きょうじ)のある方ですね」
「何よりの、はなむけです」と、朝比奈は応えた。
病院の患者輸送車で火葬場へ。葬儀も何もない。じつに「清々しい死」であった。

2日後、彼の意識はやって来た。
現在も、そそっかしくaboutな朝比奈が、チョンボしそうになると、
バシーンという音とともにやって来きて、指導してくれる。
生と死は、不可分なのだ! 連続現象で、ただenergy の位相(振動数)が異なるだけ。
なぜ? 量子論・人工知能の時代に、脳を学び、意識とは何か?を、
追究しようと、しないのだろう? これこそ「生を見つめなおす」ことでは?
そう! 本物の瞑想をしよう!

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Photo by puliarf


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2018.06.04

過労死対策 政府に矛盾?

朝日新聞6月1日(金曜・2018年)4面である。
まず、「遺族『防止に逆行』」という中見出しから、考えたい。
先日の記事で、我らmedia業界も該当業種になったことを知ったので、
一段と、眼が光った!

上記4面記事で、逆行情報に「全国過労死を考える家族の会」代表、
寺西笑子氏の言葉、「防止の動きに逆行している」と。うーん、と唸った。
そして「高プロ(*高度プロフェッショナル制度)が適用された働き手には
仕事の量を自分で決める権限はなく、『長時間労働しなければ終わらないほど
大量の仕事を押し付けられる』との懸念……」と。

唸った原因は?「高プロが適用された働き手」って、何? である。
すでに、Cogninitive capitalism(認知資本主義)の時代に突入してしまった現在、
いまだFordism(大量生産主義)の“労働者”概念で、なぜ? 考えるのか!?
ということである。ここで、「高プロの定義」が必要だろう。
そもそも、「高プロ」なる者は、“仕事の質と効率”でナンボである。
我ら「編集屋」の世界について言えば、斬新で高impactのある企画を考え、
現場のmistakeをコマゴマと見つけ出し、しかるべき相手と折衝する、
それが出来てはじめて「高プロ」に引っかかる。

こうしたシゴトに、どれほどの時間をかけるかは、本人次第だ。
言ってみれば、寝ても覚めても、restaurantで食事をしていても、
ネタを見つければシゴトである。そして、それをオモロイと感じるのが「高プロ」だ。
一般に敷衍してみれば、「高プロ」というのは、
Cogninitive capitalism 時代において、あちこちに転がっている“情報=capital”から、
自在に“gain”を生み出すことのできる能力を持つ、ということだ。

もし、自己の現場情報の収集とそのsimulationで、「自己に適正がない」と
実感したら、「高プロ」世界には参入しない方がいい、と思う。
つまり、「高プロ」を辞退し、(その昔に流行った)スカタン仕事師に徹するのだ。
「高プロ」が適用されたヒトは、適用時点においては、
晴れがましい気分にならなかった、だろうか? もし、なっていなかったら、
辞退したはずである。

まず、若者たちはこの「高プロ」fieldに憧れる。そこで、朝比奈のところでは、
大学生の就職活動期に、“trial バイト”なる方法をとってchallengeさせ、
自己・自身に、適性or Not の判断を要求した。
これは、Cogninitive businessには不可欠である!
○○大学の成績と、仕事適性は別なのだ!
「適性」があってはじめて、「高プロ」が成り立つのである。
一般的にヒトは、「自己評価」の方が、客観評価より高い。
案外、「高プロ」に要求される能力を、甘く見積もっているのかも知れない。

そして何より、問題の中核はCogninitive capitalism 時代に、
Fordism(大量生産主義)の“労働者”概念でナントカしよう、
という労働法・労使双方・労働省・政治家・弁護士など法律家etc. たちの
認識・概念が「もう、時代錯誤じゃないか?」 ということに気付くべきでは? と
心配しているのだが……。
古今東西を問わず世の中には、“ヒトをおだてて木に登らせる”手練手管が
溢れているのである、と、世をスガメで眺めるのも、いいかなぁ。

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Photo by hedera.baltica


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2018.05.25

ギャンブル依存症対策!

カジノ法案が国会審議入りしたから、mediaで、「ギャンブル依存症問題」のrushだ。
「依存症対策がおざなりなままカジノが導入されれば、大きな社会問題になるだろう」と。
まったく、その通りである。しかし、カジノが設置されなくとも、
ギャンブル・マニアは、net上で国際的に行っている。「蛇の道はヘビ」で、
驚くべきスケールだ。カジノという“場”に出向かないでいい手軽さ、また、
スピードが速いことも特徴だ。

5月23日、朝日新聞朝刊「ギャンブル依存症『完治はない』」の記事で、
「パチンコに20年で4000万円」という、東京・多摩地方のアルバイト男性(46)の、
「自分がギャンブル依存症だと気づかなかった」、
「自分の力では自覚することも、回復することもできない病気なんです」
という言葉が印象的だ!

朝比奈は以前、mediaの仕事で、パチンコ業界を取材し、
かなりdeepなところまで知った。台makerとパーラー(店舗)は、
射幸心をどこまで煽って利益を上げ、警察など取締筋とせめぎ合うという、
パチンコPlayするよりはるかに、ドキドキ・ハイになる経験をした。
その時、初めてパチンコ体験。錦糸町駅近くの店。
1000円で買った玉が、一瞬で消えた! ああっ! ああ……
呆然としていると、隣席の、足元の箱に出玉をいっぱい入れているオジサンが、
両手いっぱいの玉を、朝比奈にプレゼント。それで、もうイッチョ行こう!
あっ! と、消えた。この時、デジパチの恐ろしさが、身に染みた。
オジサンに頭を深々と下げ、店を後にした。

パーラー内の台と、出玉率は、すべてコンピュータ管理されている。
何時~何時は、どこの島(台配置)でどれだけ、Playerの腕状況で、
儲けさせる、遊ばせる、回収するなどなど、複雑なalgorithmで運営されている。
まさにデジパチ、コンピュータ・Gameそのものである!
買い物帰りにチョイと立ち寄るオバサンたちは、
デジパチ(Digital Pachinko)時代のパチンコが、
カジノのルーレットより怖い! ということを、どれほど知っているだろうか?

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Photo by AHLN

「依存症のカギ」は、手軽さ、日常性である!
これこそが、「自分がギャンブル依存症だと気づかなかった」という点だ。
依存症を脱却するために、「自らを客観視することで、立ち直りを目指した」と、
冒頭の男性(46)は、語る。これは、深い! 根本が深い!
パチンコを始めるずっと以前から、つねに、自らを客観視することなく、
mediaにあふれる情報にオボレながら、生きていたのでは?

そして、いつしか自己をmediaにあふれる「神話」に売り渡していたのでは?
自己の手綱を取る、それこそ無限大の可能性を与えられたヒトの脳の、
最も重要なシゴトなのでは?

リハビリ施設で、「……半年ほどすると、仲間の3分の2ほどが回復できないまま
姿を見せなくなった。……完治することはないと思っています」と。
「東京・多摩地方のアルバイト男性(46)さん、リハビリ施設の、
方法論がクイチガッテいる、ということに気付きませんか?!」
通所者同士で体験を語り合って立ち直れるくらいなら、
「依存症」は「疾患」ではないのです! 脳のsystemを学びましょう!


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2018.05.23

Game 脳という直感的センス

東京都54歳、小学校非常勤講師の加藤麻美さんへ。
前回、Gameについて、依存症に関することをお話しました(→コチラ)。
今回は、もっと重要なこと、Gameの有用性について、
また、どのようなGameが有用であり、
どんなGameに問題があるのか、考えていただくポイントをご紹介しましょう。

まず、最も大きな問題は、親御さんや周囲の人々の多くが、
「Game とは何か」に対する知識や理解なしに、
「子供の欲しがるGame」を買い与えている、また、
「Gameは良くないモノだが、社会に遅れないように適度に」やらせている、
といった状況ではないでしょうか。

Game systemは、いわゆるオモチャではなく、
“脳に対する侵襲性の極めて高い”toolです。
TVや映画のコンテンツに対して、利用者は、それをJudgeしながら受容していきます。
しかしGameでは、利用者もコンテンツ内部へ入り込み、ともに考え、
意思決定し、行動していく
。これは、現実生活に近いレヴェルの脳体験です。
この体験は、クオリア(質感:意識経験を構成する原子的な感覚で、
精神-脳問題の中心をなす。……『意識の探求』クリストフ・コッホ著、
土屋直嗣・金井良太訳/岩波書店)を伴い、直接体験に極めて近い状況です。

したがって子供の脳は、そのGame制作者の意図のもとに
受容し、限られた選択を行い、行動し、結果を得る。
そして子供の脳は、効率よくgainerになる方向へ働く。
この範囲では、さして問題はないようだけれど、
利発な子供たちが悟るように、Game制作者の意図がパターン化されると、
パターン内でのspeed、条件反射勝負となり、脳発達の出番はなくなる。
ここからは、gambleの世界だ!

小・中学校の先生や父母の方々には、
『高校生からのゲーム理論』(松井彰彦著/ちくまプリマー新書)の
一読をおすすめしたい。

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投資市場はいうに及ばず、21世紀に入って、世界経済やサイエンスをはじめ、
数多くの分野がゲーム理論で動いている!
欧米では18世紀後半の「統計と確率論」時代から、
じつはギリシャ・ローマの時代から、政治や戦争にゲーム理論が使われていたのだ!
日本のゲーム史は、天平時代に中国から輸入された囲碁に始まる。
ローマをカエサル時代にとってみても、700年以上のひらきがある。

昔「芸事は6歳の6月6日から始める」と言われ、現在はさらに低年齢から、
歌舞伎の諸芸やバイオリン、ピアノなどの習い事が始められている。
これは「その道の“センス”」を身に付ける方法だ。
“センス”というのは、論理を超えた脳の高次機能のシゴトである。
たとえば、「洗練された美しい数式」というのは、いくら勉強しても、
出来ない人にはデキナイ! 音楽や美術、ファッションなどの分野もそうだ。
飛躍するようだが、Gameも同様なのだ。
何が何だかわからないけれど、Xを的確に予測する能力は、
子供のうちから、各分野の優れた世界の中で、呼吸し、脳を働かせていくうちに、
できあがる。Gameも同様だ。だから、どうだ! と叱られそうだが……。

全地球がコンピュータに支配されている今日、
0・1とゲーム理論なくして、夜も日もたち行かない。
父母や小・中学校の先生方は、どうぞ熱心に、“ゲーム理論”を勉強してください!
そして、優れたGameを見出し、子供たちとPlayして脳を磨いてください!!

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Photo by k0a1a.net


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