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書籍『クレオパトラⅦの追憶』(デジタル版&アプリ版、発売中!)は、
2000年の時空を超える女と男の心理を丁寧に読み解き、
歴史の真実をあぶり出す、洗練された高貴で華麗な愛の物語。

クレオパトラⅦを追って、UPされたのが
『YOGA COSMIC SYSTEM 0・1の彼方へ 能力覚醒独習法』と
『般若心経&YOGA 四苦・八苦の彼岸へ』。
on tour 気分も味わいながら、舞台裏話へのご潜入を!

そしてon tourから、グ~ンとWARPして
YOGAと瞑想のブログ“Open! Mind & Body,”へ!!
2018.09.25

不登校の未来は、どこへ行く?

そもそも、ヒトの人生に「責任」なんてものはない。
けれど、「学校へ行きたくなければ、行かなくていい」となると、
その結果予測は、そう簡単なものではない、のではないか?

「学校へ行きたくなければ、行かなくていい」という発言は、
「窓ぎわのトットちゃん」はなやかなりし頃に、大いに流行ったコトだ。
日本文化が経済力とともに大いに熟して、早い話が
「食べられる仕事が多様化」した時代である。
そして、若者・中年が食いつなぐことは容易くできた。

しかし経済が縮小し、中年も高齢に近づくにつれ、難しいことも出てきたようだ。
「学校へ行きたくなければ、行かなくていい」という無拘束が、高度情報化とともに
複雑化してしまった時代に、どれほどの適応力を維持できるだろうか?
たしかに、現代日本の義務教育内容が「とてもいい」、とは言えないかも知れないが、
スッポカシた人々より、法治国家の読み書き内容にそこそこ足りるコトは間違いない。
それは、識字という能力が、脳の論理的思考力を養う土台である、とすれば、
歌人(うたびと)でないかぎり、社会生活に必要不可欠な能力となる。

ここで問題にしたいのは、「特殊な場合」を「一般化する」ことの危うさである。
働き盛りの人々で、危機感を持って「読み書き能力」取得に取り組む人がいる
姿を見て、少なからず驚いた! 
義務教育時代に、「読み書き能力が、こんなに必要、重要なことだと思わなかった」と。
学校・教師・カリキュラム等々の問題も、凄まじくあるには違いない。しかし、
冷静に、視野を広くとれば、なかなかソコソコよくできているのだ。

「学校環境への不適応」が、多分に拡大解釈されては、いないだろうか?
そんな気分になったとき、『パラドクスだらけの生命』や
『進化の謎を数学で解く』を読む。いずれもアンドレアス・ワグナーの著作だ。
そこで繰り広げられているDNA、分子レヴェル、40億年を超える生命の戦い……、
これは、自然・生命そのものの姿である。熾烈な生存の戦いを生き抜いてきた生命、
その中で繰り返される細胞の自殺、これはオートポエイシス。つまりプログラム死だ。
もし初等教育から、こうした生命・生物の歴史を、数多くの植物や昆虫や動物や……と
身を接するように子どもたちが学んだとしたら……、
自殺サイトへの見方も変わるのでは? と思う。

現代ばかりでは決してない(昔はもっとひどかった)が、初等教育に従事する人々の
深い知性が少ないのではないか? もちろん、親も含めて。
高速で大量に流れる情報の奔流に曝され、
知性なく、うわべの知識に幻惑され、狂奔しているのは?
と思うのは、ロージンの杞憂だろうか?
というのは、ロージンがスマホとマゴにひれ伏し、
深い英知を語ることが無くなっているように思えるのだが……。

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Photo by Matti Mattila


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2018.08.16

ヘリって、ほんと恐い! を体験

8月10日、群馬県の防災ヘリ「はるな」が墜落した。
これは、全長17.1m、幅2.8mで、定員15人というかなり大型機だ。
大型の主回転翼(メイン・ロータ)を高速回転させ、垂直に離着陸し、
前後・左右・上下と自在に飛行できるうえ、空中でホバリングが可能なヘリ。
災害時の救出などで、ケガ人を釣り上げている光景などが報道される。
朝比奈は子供のころ、竹トンボを飛ばしていて、この原理を思いついた!? が、
レオナルド・ダ・ヴィンチが15世紀に考案しており、
スケッチが残されていることを近年、知った。
レオナルドは、ロータを回すエンジンを発明しなかったのだ!

子供のころから乗りたかった(遊覧飛行などは嫌なのだ)思いが実現したのは、
紅葉名所の空撮をヘリでやる、という企画。今回、墜落したのは15人乗りという、
大型だが、朝比奈が乗ったのは、パイロットの他2名という竹トンボ並み。
地方の県道などの上空をのどかに飛んでいると、洗濯物を干しているお母さん、
耕運機に乗ってトコトコと行く麦わら帽子のオジサンなどが、実に楽しく見えるのだ。
やがて塩原の紅葉から猪苗代湖畔の紅葉と、めくるめく錦秋を撮影し、
蔵王へ向かった。山斜面の錦秋をシャカシャカやっているうちは良かったのだが、
撮影指示書には「蔵王のお釜」を撮って来い、とある。
Oh! 「お釜を空から見下ろせるのね、ルンルン」。

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Photo by Atsushi Kase

ヘリがお釜に近づくと、機体がグラリ、ヒヤリ!
「山の周辺は気流が安定しない。谷からの上昇気流と、強烈な太陽光で
熱せられた地面からの上昇気流と……、あの雲が原因です」という説明は緊迫している。
驚いた! 真っ青な空を流れる白雲の速さ(これは、機体めがけてすっ飛んで来る!)
ということは、風も強いのだ!
視界には、葉っぱだの旗だの洗濯物などはないから、“風は見えない”のである。
風と雲の流れに翻弄され、戦いながら、ちっちゃなトンボは、
お釜の上空に近づいたり、急遽逃走したり、上へ下へとバトルを繰り返す。

もう「終わりに」という直前に、朝比奈は急遽脱いだウインド・ブレーカーの中に、
胃袋の内容物を入れ込んで青ざめていた。そして庄内空港に不時着し、
よろよろとwind breakerを始末し(トンボヘリの中には、トイレもゴミ入れもない!)、
ヨロヨロと、所定の花巻空港へ向かったのだ。
航空機が乱気流に巻き込まれた、大揺れの騒ぎも2度、体験していたが、
ヘリの大揺れには、いろいろな面で“ユルミ”がない。
ほとんど目に見えない気流の動きで、墜落が口を開けているのである!


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2018.08.03

放火・焼尽大好きの文化?

ギリシャで先月23日に起きた山林火災は、
“放火の疑い”がある、という(2018年7月29日、朝日新聞)。
この山林火災は、首都アテネの東、車で約1時間の海岸リゾート地、
マティ当りで発生したらしいが、マティだけでなく、キネタでも発生しており、
「それぞれの街で十数カ所の火災が同じような時間帯に起きた」、
そして内務副大臣は「犯罪行為を示す重大な証拠がある」と。
続いて土地開発業者の行為が横行云々と。

これは、日本ではちょっと考えられない話だが、
先日も紹介した『プリューターク英雄伝』(→コチラ)などを読んでいれば、
決して驚くには当らない、歴史的なギリシャ人気質なのである!
つまり戦闘大好き、焼尽大好き、つまり炎を目に血が騒ぐのがコタエられないらしい?
そして「土地はブンドルもの」であり、それには「焼き払ってすべてを追い出せ!」と、
コマッタ論理だが、一貫しているのである。

古代には、アテネもマケドニアも今日とは異なる構造の“国”であり、
スパイが横行し、戦乱に次ぐ戦乱! 日本の戦国時代のような忠義だの謀反だの……、
という話じゃなくて、とにかくブンドリGame なのだ!
そこでアレクサンダー大王(上記の英雄伝に詳しい)なんかが大活躍するのだが。
ということで、「血のなせる業(わざ)」か? DNA由来なのか?
とにかく“伝統的哲学手法”の放火らしいが、
現代社会・国家では、古代のようにはいかないのだ!

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アリストテレスの講義を受ける
アレクサンダー大王


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2018.04.18

高2殺害「たまたま」

以前このblogで、コリン・ウィルソンの『殺人の哲学』を紹介した(→コチラ)。
同書の日本語版の出版は1970年(初版)である。
同書には、殺人スタイルが歴史的に考察されている。
その、米国のおける“現代”が、もうとうに、日本にやってきていたのだ!

「県警は計画性の有無について、慎重に調べている」と報道されている。
一方、「容疑者、計画性を否定」と。
これは量刑の問題で、重要なポイントとなる。
新聞記事を読みながら、警察や検察、弁護人、裁判員の皆さんは、
『殺人の哲学』をお読みだろうか? そして、もし未読なら、
皆さんで読み、group sessionをしてみたらどうだろう? と思った。

こうした事件は、量刑の問題ではなく、時代・社会の意識構造の変化と、
それに対する対応、“safety guard”の問題ではないか、と思う。
一般的には、まず、精神鑑定が俎上に上るのかも知れない。
しかし、精神鑑定というのは「原因において自由な行為」つまり、
医学・心理学などの見地から、精神に異常が見られると判断されれば、
「原因において自由な行為」として、措置入院などにはなるが、罪にはならない、
ということだったと記憶しているが……。

上記の『殺人の哲学』で述べられている「時代性」は興味深く、重い。
怨恨とか金銭・男女間などのトラブル……、といった「理由」「心的因果関係」がなく、
まさに“たまたま”で、計画性がないのである。

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Photo by ocdeluxe

これが、『殺人の哲学』で述べられている米国20世紀後半からの
殺人の“ある”スタイルだ。
もちろん、緻密に原因となりそうなコトを調べ、それらを積み上げていくことで、
じわじわと負のvoltageが上がっていくprocess、閾値を超えるタイミングなどは、
合理的に並べられる。しかし、
ただ閾値を超えたというだけでは、行動にまでは至らないらしい。
それは、最初の時点の場合だけ、のようだ。
2回目からは、閾値に達するどころか、かなり自動的に遂行されてしまう。
「計画性」などは全くない。凶器類は、ほとんど無自覚に常備されている。
そして驚くべきことは、ごく平均的な人々一般が、ルーティン勤務に就くような
自然さで、パターン化された殺人実行手順が遂行されるのだ。

これは、20世紀後半の英米などで、話題になった殺人スタイルだ。
目的は「殺人そのもの」で、機械的・systematicに実行される。
興味深いのは、殺人者はその手際のよさに陶酔していくことだ。
なるほど、手際にこだわるなら、「計画性」など論外に違いない。
殺人者の年齢ゾーンは、欧米のsensationalなケースでは
20代後半~35歳前後がピーク。欧米同様の「意識構造の時代」が、
日本の文明・文化の中にもやって来たのかも知れない。


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2018.01.11

『殺人の哲学』の、心理学的考察

「菊池元オウム信徒 無罪確定へ」。
昨年末の新聞の見出しである。ちょっと古いが、
コリン・ウィルソンの『殺人の哲学』(高儀進訳/竹内書店/1972年)
を読んでいたところだ。

同書を読み始めた理由は、引っ越しで蔵書の中から見つけたこと、そして、
9人殺害の「座間事件」の、殺害者の心理特性を追求してみたかったからだ。
菊池さんの場合は、殺人には関与していなし、組織行動における
意識・認識ということも、なかったのだろう。だから、ここでは不問にしよう。

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『殺人の哲学』は、14世紀くらいからの初期の殺人、17世紀のジンの時代と進み、
20世紀の殺人へと、時代とともに変遷していく殺人状況を、各国の歴史資料、
各国・各署の警察資料や裁判記録、新聞記事などの資料をもとに考察している。
そこに描き出されるのは、「時代の様相と殺人者のスタイル」だ。
興味深いのは、「移り変わる時代特性」と「ほとんど変わらない殺人者特性」が、
浮かび上がってくることである。

たとえば「座間事件」の場合。典型的ともいえる「連続型」で、
あまりにもフツーに見える、一般的な男のシゴトなのである。
そして、そういうヒトのヤリ口は残虐なのだ。これは、つまり殺人者にとって、
手間暇のかからない方法をとる??
そういうヒトの殺人は、「金銭を奪うなどの目的」の、“手段ではなく”、
“殺人が目的そのもの” なのだ。オウム事件も、
フォーカスしていけば、そうなるだろう。

同書を読んでいると、殺人者は、“やむにやまれず、のっぴきならない状況で、
変性意識状態に追い込まれて”実行してしまう場合は、
意外に少ないのではないか? と、思われてくる。つまり、
ヒトがDNAレベルで記憶している、長い屠殺の歴史にのった行為ではないか? と。
ヒトが、理性という、脳の新しい皮質で巧妙にコントロールされるようになる、
はるか昔からもっていた意識と認識。それは、往々にして、善悪の分別がない。
ただ、ただ、感情の暴走する行為である。

そしてそれを“気持ち悪い”と、感じる、思うようになったのは、さらに時代を下る。
農耕民族と狩猟民族といった、文化背景も大いにかかわってくるだろう。
そして意外に、そうした残虐な行為を平然と実行するのが、女性であったことにも驚く。
アマゾンのヤノマミに残っていたように、日本の伝統社会では、
生活キャパを超えての新生児始末は、その女性自身が行っていたことも少なくない。
これは、命を奪うことの「罪悪感」や「すまない」「惜しい」という気持ちばかりでなく、
もっと物質的な感覚でもあったのではないか、と思う。
それは、「生存における命のバランス」というような感覚ではないだろうか?

歴史時代に入ると、地球上に数限りない戦闘が繰り広げられ、
やがてヒトの生死は、商品化されるようにもなった。
日本の江戸時代に、「辻斬り」や「新刀の試し斬り」ということも行われていた。
とすると、長い人類の歴史の上で、現代人のような殺人感覚が生まれたのは、
まだ二百年足らず、といったところかも知れない。
現代の殺人者は、精神鑑定を受ける。それは、どのような内容なのだろうか。
裁判員裁判が行われる時代になって、身近な問題になってしまっている。


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