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書籍『クレオパトラⅦの追憶』(デジタル版&アプリ版、発売中!)は、
2000年の時空を超える女と男の心理を丁寧に読み解き、
歴史の真実をあぶり出す、洗練された高貴で華麗な愛の物語。

クレオパトラⅦを追って、UPされたのが
『YOGA COSMIC SYSTEM 0・1の彼方へ 能力覚醒独習法』と
『般若心経&YOGA 四苦・八苦の彼岸へ』。
on tour 気分も味わいながら、舞台裏話へのご潜入を!

そしてon tourから、グ~ンとWARPして
YOGAと瞑想のブログ“Open! Mind & Body,”へ!!
2018.08.10

ウラジロのナルシストはキツネ憑き?

朝比奈の仕事場では、「ウラジロ」と呼ばれるモノが大活躍している!
世の中で「リサイクル」などという言葉が流行る、ずっと前からだ。
編集屋の仕事場は、羊たち以上に「紙」を食う。
ワープロを使い→ レーザー・プリンタを使い、
複合機なるものを利用するようになってから、「ああっ!ヤメテ、ヤメテ!」と
叫ぶうちに、スタスタと驚くべき枚数の紙が吐き出されてしまう。
当初の「チースタ、チースタ」と印刷していたプリンタが、
「ダダダダダッ!」と机響きをさせていたころは、驚いたが、まだ余裕があった。
そのうち、音無しの構えでシューッと、とんでもない量を吐き出すようになったのだ。
ああ無情! コピー機カウンターの料金稼ぎか! と恨めしく睨みつける。

そんな大量の「もはや不要になった出力原稿」が、きちんとパックされ、
積み上げられ、出番を待っている。こうしたコピー用紙を、
「ウラジロ」と呼んでいるのだ。
FAX受信用、社内文書や、WikiなどNet情報の出力用に大活躍している。
もちろん最終原稿でない出力は、ウラジロで結構なのだ。
ここは付言しておこう!
知覚と認識の問題で、モニター画面で見たのと、紙に印刷された文字とでは、
印象が大きく異なる。DATA的なものはさほど変わらないが、
漢字仮名まじりの日本語文などでは、文章の呼吸や雰囲気が、
正確に伝わってこないから不思議だ。ということで、編集屋の原稿は出力する。

そうそう、本論へ戻ろう!
さっき打ち込んだ「認知症関連の原稿」のウラジロは……?
脳がグ~ンとワープした。
うん? アレクサンドリア、クレオパトラとカエサルの会話である!
リズミカル、みずみずしくキュート、「いいなあ、ステキだ!」
どうして、こんな美しい文章が書けたんだろう?
何としても不思議だ。キツネが憑いたのかも知れない。
これまた編集屋のパートナーが、よく言っていた。
「ダメだ。またボツ! 早くキツネが来てくれないかなぁ」と。
そして、ふと、また、キツネを呼んでいる。

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Photo by caligula1995


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2018.01.24

翻訳という魔術

朝比奈は、ポール・ヴァレリーという男が好きである。
もちろん会ったこともない、朝比奈が生まれる前年に物故してしまった男を、
どのように好きなのか? と問われれば、そのNEURON システムだ、と。

よく、「作家の文体」という表現が使われるけれど、
編集屋は、複数の作家の文体で、文章を書くことができる。
売れっこ作家などは忙しく、「ちょっと書いておいてくんない?
チェックして、手を入れるから」と、ラフ・スケッチと情報を渡されることがある。
編集者は(ゴースト・ライターでなくとも)、それも仕事の守備範囲なのだ。
だから、作家の文体には日ごろから、少なからざる興味をもって、
収集し、分析し、類型化し……。これは、いうならば他人の脳の、
文章構築のNEURONネットワーク・パターンを、ファイルしておく作業だ。

昨夜、on bed の読書は『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法』(ポール・ヴァレリー著、
山田九朗訳/岩波文庫)であった。
??? これは、ヴァレリーの文章?
もちろん、ネタがレオナルド・ダ・ヴィンチのコトだから、
擬古文調で書かれているのかも知れない、と疑ってみる。
そんな時には、「訳者あとがき」へ飛ぶ。そして、訳者個人の文体と照合。
Oh! 山田九朗先生の、自身の意を述べる文体が、訳文とほぼ同様の口調。
とすると、確率は50%。つまり、山田氏がヴァレリー口調を加味して「あとがき」を
書いたのか、はたまた本書全体が、山田氏口調の日本語に訳されたのか?

ヴァレリー文章好きの朝比奈は、彼の文章を、さまざまな訳者の表現で読んでいる。
そもそも、その翻訳表現で、ヴァレリーのセンスが好きになったのだから、
山田九朗訳だと別人の作品? となってしまう。
ああ、言葉とは、翻訳とは、なんと大それた世界なのだろう!

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2017.08.07

言葉はどうなる? コトバへの心配

相棒のSが先日、熱海温泉のホテルへ取材に行った話をした。
夜半にふと、朝比奈の最初の取材の記憶が、蘇った。
その記憶は、寝しなに読んでいた『「ことば」の課外授業』(西江雅之/白水社)に、
誘発されて出てきたものだ。

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朝比奈が、生まれて初めて、「旅行ガイド・ブック」なるものの取材に、
青森へ出かけた時の記憶である。
当時、全ページがフルカラー、全物件が写真入り。
全情報が機能的に網羅され、検索自在で、しかもかなり質の高い“旅行記”入り。
画期的な旅行ガイド・ブックである。取材はどうする?

今日のように、インターネットはもちろん、携帯電話は言うに及ばず、
各県・各地の「観光課」や「観光案内所」などもロクになかった時代である。
参入に遅れた朝比奈の会社には、首都圏・関東近県という、
取材の足回りよく、取材・情報馴れしているエリアは残っていなかった。
そして、「青森から全東北」というエリアが割り当てられたのである。
取材といっても、事前情報・取材先の選定などに対する情報もない。
とりあえず、本州最北の青森へ。「取材アポ」など、別世界の話だ。

地元タウン誌の発行事務所を訪問し、青森・津軽料理の居酒屋を紹介していただいた。
セレクトのポイントは、“津軽三味線”の演奏を聞かせてくれる、ということである。
そこで、すばらしい女性(女将)に出会った。もちろん、
スタイル・ルックス・雰囲気・知性・気さくさ……いずれも最高ランク、
津軽三味線の腕も、当時の最高峰の期待を背負った直弟子である。

彼女の話を聴いているうちに、朝比奈は不思議な感覚の世界を彷徨いはじめた。
うん? ここは、パリの裏通りなの? ……
鼻濁音の美しい津軽弁は、フランス語のようである。
ふと、彼女にそのことをもらすと、
「津軽の冬はしばれるから、話すときに、口を大きく開かない、
温もりが口から逃げてしまうから。
よく、フランス語を聞いているようだ、といわれます。
でも、こんな津軽弁を話す人は、どんどんいなくなっています、
私は、とても好きなんですけれど」と。
これ、すべて津軽弁で話されたのである!
朝比奈を経由すると、味も素っ気もない“標準語”?と呼ばれる、
東京弁モドキになってしまうのだが。

「美しい話し言葉」を残す、保存する、のは難しい。
何しろ、話者の“心性”そのものが変わり、
また、言葉が“心性”を構築していくのだから。
これから、地球上の人類のコトバは、どうなっていくのだろか。

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Old World Language Families,
by attanatta


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2016.05.10

編集屋と、ライター&デザイナーのオシゴト

このブログでも何度も言っているが、朝比奈は編集屋である。
「どんなお仕事をしているのですか?」ときかれたとき、
朝比奈は「編集屋です」と応える。すると、ギョーカイ人でないかぎり、
ほとんどの人に「ああ、赤ペンで校正とかする……」といわれる。
「校正は校正者の仕事ですが、まあ、気に入らないことも多いので
自分でもやりますが」と、応えることにしている。そしてその度に、なぜ、
編集=校正なのか? と、いつも思ってしまう。

編集屋になりたくてなったわけではない朝比奈、あらためて辞書をひいてみた。
「資料をある方針・目的のもとに集め、書物・雑誌・新聞などの形に整えること」と、
『広辞苑』には書かれている。どこにも、赤ペンはない。
編集屋は、ライターの仕事もするし、インタビューもこなす。
どちらにしろ、朝比奈は圧倒的に文章を書く仕事の方が多い。
けれども一般的には、ライターは「ライター」の看板を掲げているし、
インタビュアーは「インタビュアー」の看板を掲げているから、
朝比奈のところへも「ライター」や「インタビュアー」の売込みメールが入る。
朝比奈が制作している媒体に、インタビュー記事も多いからだ。

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『広辞苑』の表現をじっと見ていて、気が付いた!
「編集」には、赤ペン、つまり校正はないが、Writing や Interviewも、ナイのである。
これは! 朝比奈が越境仕事をしていることになる。
そして、ヒジョーにジューヨーなことに気付いた。
「資料をある方針・目的のもとに集め」の部分である。

編集者は、「ある方針・目的のもとに」資料を集めたいのだ。しかるに、
ライターやインタビュアーは、必ずしも(ほとんど絶望的に)、
編集者が懇切を極めて説明し、充分な資料を用意して渡しても、
編集屋の望むようには、イカナイのである。
結局、満足度の高いライターさんにいつもお願いすることになるし、
そういう人は山のように仕事を抱えているものだ。ということで、
自分のコトは自分でスルことになり、
編集屋がWriting も Interviewもすることになる。

デザインもまた、編集屋のひと苦労である。
本文系とクルミ(カバー)ではデザイン・テイストの系統が異なるので、
おおむね2人のデザイナーさんが担当する。
しかし、両者(本文系とクルミ)のイメージを、
中身(本文TEXT)のテイストに合わせ、もちろん販売戦略も加えて明確化し、
デザイナーに伝えるのは編集屋の仕事である。
「私の好み」ではイケナイのは、いうまでもない。

こうして見ると、編集屋とは、
結局「なんでも屋」、いろいろ「集めて」「編む」仕事、
「集まり」が悪ければ、自分で勝手に「編み」込んじゃぇ、ということになるかなぁ。


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2016.04.21

文章と文体とインテグレーション

編集屋の朝比奈が、文章も書くことは、しばしば述べている。
上手・下手はともかくとして、日常的に修行しているのは、事実である。
「売れている本」の文章や文体が「よろしい」とか「すばらしい」とか
となると、話は複雑である。
朝比奈が毎晩のように、水平生活を楽しんでいることもしばしば述べているが、
その“極上の楽しみ”である作品や文章が、
現今の日本の若者から中年者の間で、
ウレテいる人気作品かといえば???である。
長い年月の間、欧米その他諸国において読まれている作品であることは確かだ。

先日、【落ち込みを、すっ飛ばすダイナマイト!】で紹介した、
スティーヴ・エリクソンの『黒い時計の旅』や、
J. ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』なんかだって、
現代日本の出版社へ、無名の作家が持ち込めば、間違いなくアウトだろう。
「これ、なんだ?」編集者は読むのさえメンドー。プロでさえそうなのだから、
「売れるワケないよね」なのである。
けれども、江戸モノだったら、一定の基準を外さず、目先が変わっていればOKだ。

世の中は、朝比奈の見るところ、どーも頭を使いたくないようだが、
アタマというのは不思議なヤツで、さまざま角度から、多彩に刺激してやると、
どんどんオモシロイことを求めるようになるものらしい。
そして、この遊びは、果てることなく広がり、深まり、複雑に絡み合い、
ますますオモシロイことを考えだすようになる、みたいだ。
この遊びの道具といえば、言葉であり、それをつないだ文章であり、
その恰好・スタイルである文体だ。そして、この道のさらなる魅力といえば、
インテグレーション! 日本語では構築というかなぁ?
この魅力には、魅惑される?

かのアレクサンダー大王、アルタ・クセルクセス、ユリウス・カエサル、始皇帝???
世の一般庶民は、征服欲だとか名声だとか……いろいろにイメージするが、
彼らの頭脳の内部へ侵入してみると、ナント! 脳味噌が最も好む
インテグレーションの魅力にハマッテしまったのだ。
ほら、おチビさんたちが、レゴに夢中になるでしょ、アレですよ、アレ。

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Photo by macinate


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