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書籍『クレオパトラⅦの追憶』(デジタル版&アプリ版、発売中!)は、
2000年の時空を超える女と男の心理を丁寧に読み解き、
歴史の真実をあぶり出す、洗練された高貴で華麗な愛の物語。

クレオパトラⅦを追って、UPされたのが
『YOGA COSMIC SYSTEM 0・1の彼方へ 能力覚醒独習法』
そして『般若心経&YOGA 四苦・八苦の彼岸へ』。
on tour 気分も味わいながら、舞台裏話へのご潜入を!
2017.10.05

本気読書の“秋”がやって来た!

気温良好、湿度も快適、昨日は十五夜だったが、
ことさら夜は、読書が似合う。
年がら年中、毎晩on bedで、3~4種の読書サーフィンを楽しむ朝比奈だが、
「読書の秋」と言うだけあって、確かに、この季節はノリがいい。

3~4種には、その時々のセレクト理由がある。が、おおむね、
1)延々と取り組んでいる大作
2)時事・サイエンス系のオベンキョー本
3)お笑い&芸術(音楽・美術)系のアタマ・ウキウキ本
4)苦心惨憺、じっくりじっくりの根本的アタマ構築本 というジャンル。
上記のとおり“いわゆる小説”は、ほとんど読まない。

上記の1) と4) は、かなり重なる。
書籍名を上げるなら、カッシーラーの『シンボル形式の哲学』など。
なぜ、20歳代までに学校の先生は「その存在すら教えないのか!?」と思う。
哲学なんて無視!「数学はW抽象の哲学である」なんて、
カケラどころか、匂いすらかがせない!
教育は、単なる点数取りマシーンになる技術のみを教えるだけ?

70歳になって、朝比奈は、なぜ、数学がデキナイのか、根本がわかった!
カッシーラーの『シンボル形式の哲学』に教えられたのだ。
どのように? 朝比奈のアタマの構造は、シングル抽象しか理解できない、
神話時代直後の人々の頭なのである、と。
1つ、2つ、3つのミカンやリンゴは、それぞれ現物に対応する具象、
これを頭の中で計算(2+3=5)するのは、現物+数(カズ)という抽象=シングル抽象
ところが数学は、あくまでも“数(すう:カズではない)”という、
関係性の抽象概念で思考していく、「関数」の世界なのだ!
この事実を、なぜ、中学校で“関数”を教えるときに、教えないのだ!?

関係性の抽象概念は、ヒトの頭脳システムに、
論理性ができてくるにつれて、立ち上がってくる概念だ。
ミカンやリンゴに、1つ、2つ、という数(カズ)が貼りついている
神話的思考の段階から、ヒトの“脳システムの作動性”が進化することによって、
できてきた概念操作だ。 ? ということは、
朝比奈の脳システムは、神話時代人のシステムというわけ!

ここで、重要なポイントと解消手段が浮上!つまり、神話的思考脳から、
ピュタゴラスやアリストテレス型脳への進化方法デアル。
朝比奈のように現代の「神話的思考脳」保持者は、
シングル抽象は理解&操作できるが、ダブル抽象はアウト。
つまり、抽象概念と抽象概念(数字&数字/スウ)の関係性を操作できないのだ。
カズからスウへの移行である。英語では、Number(具象)→ Figure(抽象的)。
このカラクリを理解し、腑に落ちると、訓練のしようがあるのだ!

Pythagoras.jpg
Pythagoras

テキストは、文字という具象性の高いシンボルを並べるが、
数学は、「数」という抽象概念を、抽象概念で操作していく。
ここで、“数学”と“和算”の根本的な違いの根っこが見えた!
アルファベットVS漢字・仮名まじり文の、表記伝統。
アルファベットは、表音文字だ。
漢字&仮名は、表意文字である。表意とは、具象して見せること。
アルファベットは、単なる「音」の組み合わせである。
文字が具象して見せる伝統の中で生まれた和算は、あくまでも、
具象がベースにあるから、高等数学へは進めない、神話的思考なのだ!

関孝和
関孝和

漢字の本家、中国はどうか? なぜ、古代に数学が発達したのか?
インド・ヨーロッパ語族の中国の漢字は、
その形成時こそ象形文字だが、その使用法においては、表音文字である。
現代、中国語を習うとわかることだが、「表音」なのだ。
この根本的な問題が、古来、インド、中東、マグレブ地方と同様に、
中国で、数学が発達していた原因ではないだろうか?

海上の弧状列島に、たかまのはら(高天原)に、かむずまります(神住む)
神々が降臨したという、ヒノモト(日本)は、南洋の島々と同様に、
どっぷりと永く、永く、神話的思考のままで、生きてきたのではないか?
もちろんその中で、脳力の高い人々は、さっさと和算を離れて、
W抽象の数学へ飛び立ったにちがいない!


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Posted at 11:21 | 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2017.10.03

高齢者の悲劇!

「意識は川のように流れる」といわれたのは、20世紀前半のこと。
ジェームス・ジョイスの『ユリシーズ』や
ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』などで、広く知られた。
しかし現代の脳科学は、「意識の流れは飛び飛びである」と。

joyce.jpg

実際この「飛び飛び」のせいで、トシヨリは、日常的に、
大いなるヒンシュクにさらされている!
意識のトビトビの間には、次々と新情報が挿入される。
これは当然、若い人の脳においても同様だ。
しかし、高齢になると、蓄積記憶が途方もなく多くなるから、
トビトビの間に挿入される情報も多岐・多彩で、膨大な量になる。
簡単に例えれば、似たような情報のヴァージョンがたくさんあり、
高齢者の脳の場合には、A/Aa/Ab/Ac……というふうに。
多彩な変化ヴァージョン情報が、情動(感動)記憶に伴われて脚色され、
意識の流れのちょうどいい場所に、次々と、都合のいいように挿入されていく。

高齢者本人の脳は、情報A/Aa/Ab/Ac……が、
それぞれ微妙に異なることを認識している。
だから、それらが自動的に引き出され、意識の流れの中におさまって話が進む。
しかし、これを聞いている若い人は「“同じこと”を何度も言っている」と。
この老・若の認識の差異を、科学的論理で述べれば、
「受け手の“情報”としての受容」と「発信者の“情動が付加された情報”」との違い。
つまり、情報認識のクイチガイが原因なのではないか?

しかし往々にして、この差異は若い人々には理解されず、無視され、
「年寄りは同じことを何度も言う。ボケの症状だ」ということになる。
これは一般的に、「繰り返しが多く、シツコイ」と、敬遠される。
だが、しかし、朝比奈はカッシーラーの『シンボル形式の哲学』(→コチラ)を、
毎晩、ぼちぼちと読んでいて気がついた!
初めのうちは「同じようなことの繰り返し」としか感じられなかったことが、
実は、さまざまな角度と深度で展開されているのである!
これは、カフカの「創作ノート」の記載にも、同様に見られる。
ロンドやフーガのように、繰り返し繰り返し微妙に変化しながら、
ある調和点をさぐりつつイメージを構築していく……これこそ、
脳作業の積層構造の働きの姿そのもの、ではないのか?!

若い脳システムは、短兵急に結論へと向かう。
それは、蓄積情報量がさして多くなく、したがって、
微妙な差異を検索していく経路が、まだ、少ないのではないか?
しかしこんなことを言うと、また、
「年寄りの自己正当化のヘリクツ」と言われそうだ。が、
ボレロやフーガを聴いていると、このヘリクツが肯定されて、
とても、気持ちいいなぁ~。


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Posted at 12:51 | 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2017.09.19

「ひどい女性差別がやりきれない」?

朝日新聞9月17日(2017年)日曜、「読書」『悩んで読むか 読んで悩むか』
「相談」者の京都市、学生・20歳 さんへ。
ちょっと余計な? だけど「真実」のお節介をします。
「女の子だから○○すべきだ」「男性の名字を選ぶ人」
「女性議員に汚いヤジを飛ばすオジサン」などなど、不愉快なことが多そうですね。

直木賞作家の「三浦しをん」さんは、
「『それはおかしいと思う。なぜなら』と、自分の考えを明らかにし、
相手と話しあうようにしていますが、政治家に対しては『それって差別だよね』と
言ってくれる家族も側近もいないんだな――そいつには票を投じない」

そして、『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』の読書をおすすめ。

なかなかのご名答です。が、実効・現実のほどは、どうでしょう?
三浦さんは「私も女性差別に対して相当イラッとするほうですが」と。
なるほど、それでは「問題解決法はアヤシイ」ものである。
そこで、朝比奈の快適解消法をご紹介!

まず、「伊藤野枝」さんも、三浦さんも、“♂の習性・心理”がまるでわかってない!
こういう女性は、かつてのウーマン・リブ連にも多く、
♀の論理を振り回し、押しくりかえそうという、典型的オンナ型である。
「典型的オンナ型」とはどんな? つまり、
♀だけの地球に、♂という異質の性が、進化上、なぜ出現しなければならなかったか、
というDNA的問題など、ハナから頭に存在シナイ方型である。(→ご参照を!

コレ、一般的に、女性の思考形態! 
思考経路・論理の異なる♂に対して、「それはおかしいと思う。
なぜなら」と「自分の考えを明らかにし、相手と話しあう――」と。
ハハハハ……コレ、異文化コミュニケーション!
これは幸福な♀の論理で、ちょっとキレル男(こういう男がイイ男)なら、
「それは♀の論理だね、♂の立場とか、社会・文化人類学的な視野で見たら、
どうだろう? 女性、♀は生態特性から相対化能力が発達しにくいんだけど……」と。

三浦さんは「おかしいと感じたことには『おかしい』と表明しつづける」と。
えっ! その前にまず、「自分の考え方はオカシクナイ? かなぁ」と
自己点検をすべきでは? コレをしない、この自己中心性も「♀の特性」なのですが。
♀が、相対化能力を開発し続けないかぎり、「女性差別」されても仕方がない!
相対化能力が低いと危険なのだ! ヒトラーとか○○○とか……。
だいたい、「ヤジを飛ばすオジサン」を見て不愉快になるなんて、コドモだなぁ。
おもしろ~い! だけど、誰がこんなオヤジを国会議員に投票しちゃったんだー!
冗談言ってる場合じゃないよ! でも、けっこう外国もそうだけどねぇ。
やっぱ、オトナの世界は、お笑いがなくちゃ、戦争ばっかりになっちゃうノヨ!

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Wollstonecraft, Mary 1759~1797 ロンドン
イギリスの女権拡張論者/
『女性の権利の擁護: A Vindication of the Rights of Woman』(1792年)で
当時の既成観念に挑戦した。(ブリタニカ国際百科事典)


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Posted at 13:19 | 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2017.09.15

「男が傷つく女尊男卑の時代」?

今朝の朝日新聞(2017年9月15日)、
「声 若い世代」投稿の中学生、東京都の泉 雄斗さんへ。

15歳という、じゅうぶんに若い「泉さん」が、
「女尊男卑」だとか「男尊女卑」だとか、大時代がかった言葉を使う、
そういう先験的観念に縛られているのに、ビックリ!
いかに安易に、4文字熟語の支配を受けてしまっているか!
このような状況を、“思考停止状態”といいます。

今日、LGBTはマスコミなどでも喧伝されていますが、
ギリシャ・ローマの時代から、地中海沿岸諸国やヨーロッパでは、
とてもオープンな文化的基底を成しています。
いかに、日本の歴史・文化教育が偏狭であることか!
もっとも、幅広い読書習慣をもっていれば、
日本においても古来、織田信長をはじめ事例は数限りなく、
これまた(野暮な人々が知らないだけで)、文化的基底を流れています。
学校教育とは恐ろしいもので、幼少時から一面的に洗脳していくようなもの。
15歳なら、個人が広く・深く、世界の歴史・文化に関する書籍を読んで、
多視点・多次元から事象を見、理解し、思考する習慣を身に付けるべきでしょう。

「泉さん」の憂うべきポイントは、「噂」を聞いたとか、
「レディースデー」サービスの話とか、
あまりにもアイマイ・ゴチャマゼ認識で、「……思います。」となってること。
“レディースデー・サービス”というのは、商業戦略です!
これは、日本では1980~90年代にPRされた戦略、
「女と唇を狙え!」。そこにビジネスの強大なチャンスがある、と。
つまり、女性をターゲットとしたグルメとファッション戦略です。

しかしキミが、もしローマ史や天平時代、江戸時代の日本史を、深く知っていたら、
「Oh! 歴史は繰り返すのだ!」と、思うはず。
女性市場を膨張させることは、平和的経済拡大戦略なのです。
そしてその仕掛け人は? もちろん論理的思考が得意な♂で、
感性と損得勘定を行動指標にする♀がターゲット、というわけ。

キミの「だんだんと男性を傷つけ、女性が得するように……、
女性を守るべき法律などを見直すべき」という言葉にウフフ……。
もうキミの年齢なら、“清純な恋”と
♂&♀のDNAレベルの抗争なんかも、そしてLGBTの文化も、
どんどんマトモに勉強して、しっかりした「男」になって欲しいなー。
ご質問、反論があったら、どんどんお寄せください。
こういう文化面は、どーも、日本の教育はオクレテいるみたいだから。

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Photo by dhekshnamoorthyd


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Posted at 11:58 | 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2017.09.05

“書く”こと“読む”ことの恐さ

このところ連日、大量の書籍を古書店にぼちぼちと運んでいる。が、
故パートナーの書斎の本を、紙袋へ詰め込んでいると、
“うん?”と思って、ついつい拾い読みをしてしまう。
昨日、ゾクッ! としてしまったのは、
『セザンヌの塗り残し 気まぐれ美術館』(洲之内徹/新潮社)である。

同書のP.68に「セザンヌの塗り残し」というタイトルがあり、そこを読んだ。
著者は「あれはいろいろと理屈をつけてむつかしく考えられているけれども、
ほんとうは、セザンヌが、そこをどうしたらいいかわからなくて、
塗らないままで残しておいたのではないか、」
「セザンヌが凡庸な画家だったら、いい加減に辻褄を合わせて、苦もなく
そこを塗り潰してしまったろう。―――辻褄を合わせることだけに気を取られていて、
辻褄を合わせようとして嘘をつく。――セザンヌの非凡の最小限の証明なんだ。」
と。

確かに、その通りには違いない。しかし、朝比奈はうーっ! と唸った。
メルロ=ポンティの『メルロ=ポンティ・コレクション』
(中山元 編・訳/ちくま学芸文庫)を読んでいたからだ。
『セザンヌの塗り残し』が発行されたのは昭和58年だから、洲之内徹は
“事”の経緯を、知る由もなかったに違いない。

そして洲之内は、「絵から何かを感じるということと、
絵が見えるということとは違う。」
といい、絵を見る修練について語る。
絵を見る「修練」とは、「――眼を頭から切り離す――」
「批評家に借りた眼鏡を捨てて、」
と続く。

これはもっともなことだが、なぜ、セザンヌの絵に対して、
「批評家に借りた眼鏡を捨てて、」?なのか? と訝る。
セザンヌの絵は、そもそも、問答無用! ダイレクトに心身に迫ってくる。
批評家云々の言葉を聞いたら、セザンヌの眼には涙が光るに違いない。

セザンヌの『サント=ヴィクトワール山』は、44点の油彩と43点の水彩がある。
メルロ=ポンティは『眼と精神』において、「見る」「見える」ということに
深く迫っている。
そして、同時代に近しく生き、こよなくセザンヌを愛した
メルロ=ポンティは、『サント=ヴィクトワール山』諸作に深いまなざしを注ぐ。

洲之内徹の文章は、なんとも後味が悪い。自身こそ、鈍感なスノッブでは?
という疑いを消すために、画集の『サント=ヴィクトワール山』のページをめくった。
そこには、優しく逡巡しながら、力強く立ち上がる
サント=ヴィクトワール山が呼吸していた。

統合失調症に苦しんだセザンヌを身近にしていた、
メルロ=ポンティの優しい“まなざし”が、朝比奈に届いたような気がした。
そして「“書くこと”は、自身のヌードを見せることより恥ずかしいことだ」といった
故パートナーの言葉が脳裏をよぎり、
朝比奈の思念は、深く、深く沈んでいった。

ここで朝比奈の頭の中に、「人世は短い。本丸にアタックせよ!」という、
いつもの言葉が飛び出した。
そうだ! セザンヌの『サント=ヴィクトワール山』を、
ブリヂストン美術館へ観に行こう!
そう宣言すると、「ブリヂストン美術館は長期休館中ですよ」とS……。

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Georges Seguin (Okki)


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Posted at 16:47 | 未分類 | COM(0) | TB(0) |